里山とまちを繋ぎたい。めぐる自然の中でわたしの役割を見つめ続けた10年間。|Phnom Toi 誕生ヒストリー
Phnom Toi(プノントイ)をもっと知るためのインタビュー企画が始まりました。第1回目の今回は、代表の吉成 絵里香さんにブランド誕生までのストーリーを伺いました。
「挫折を繰り返しながらも、私の軸はずっと環境のこと。」と力強く語る絵里香さん。現在は、ブランドを立ち上げ、森林・里山を未来へ繋ぐため、自然の恵みを感じられるこだわりのアイテムを販売しています。
今回は、Phnom Toiの芽が出るまでのストーリーをお届けします。
最終更新日 2023/4/26
インタビュー・執筆 Atsuko Ebizawa
吉成 絵里香(よしなり えりか)
1992年、埼玉県出身。北海道大学農学部森林学科を卒業後、JICA海外協力隊としてカンボジアで環境教育活動を2年間実施。三菱UFJリサーチ&コンサルティング株式会社の研究員として官公庁・地方自治体の環境分野等の計画策定や事業支援に従事。2021年にプノントイを起業。
環境というブレない軸
ーー絵里香さん、今日はよろしくお願いします。
まずは、絵里香さんがどんな人生を歩まれてきたのか、簡単な経歴をお伺いできますか?
環境に関わっていきたいという思いを持ったのは、18歳の時に歩いた北アルプスがきっかけです。
北アルプス登山の様子(一番左が本人)
自然の素晴らしさを知り、北海道大学の森林学科に進学しました。その後、ボランティアとしてカンボジアで環境教育分野で活動しました。
就職をして国や自治体の環境政策にも携わっていました。
北海道大学時代の森林実習
ーーずっと環境に関わることを続けてきたのですね。
そもそも、「自分のブランドを作りたい」というのは、いつ頃から考えていたのですか?
森林や里山に関する事業をしたいと考えていたのは、会社員1年目からです。
それを会社の中でするのか、独立してやりたいのはまだ考えていなくて。
大学生のときからずっと環境に関わる研究やボランティアをしていて、「自然の中に入って、環境を守りながら活かしていく」ということは私の核になっていました。
会社員になってからも、実際に山に入って手入れをしたり、林業に関わる人が集まる勉強会に参加したりしていました。
動きながら、自分の役割と事業のことを考え続けていましたね。
林業の勉強会で訪れた、奈良県川上村のヒノキ林
環境という大きな課題。小さなわたしの役割とは。
ーー会社員時代にも、時間を見つけて環境と関わり続けていたんですね。
会社を辞めて、起業をするって大きな決断ですよね。
何かきっかけになる出来事があったのですか?
シンクタンクの研究員として、計画や政策を作りに携わる仕事はやりがいが大きかったのですが、自ら意思決定して実際に現場で事業を形にするのは私たちの仕事ではないんですよね。
−自分自身が自然そのものに対峙せずに、データやPCに向き合う時間が圧倒的に長い働き方で、本当に自然の価値を多くの人に広めることができるかどうか。
−今の仕事を続けていく先に、自然に直接関わる仕事やなりわいをする人に、喜んでもらえるような貢献が自分にできるかどうか。自分自身も喜びや達成感を持つことができるだろうか。
そんな違和感を覚えはじめました。
有難いことに沢山のプロジェクトや仕事を任せていただいて、責任を持って取り組んでいたのですが、自分の中で抱える違和感を受け流すことができなくなっていきました。
時間をかけて自分自身の気持ちを掘り起こし、言葉にしていく中で、「自然の価値を発揮させることを、現場から表現し、広めていきたい」という気持ち、「自ら掲げたミッションで起業し、現場からアクションを起こして社会を変えたい」というあたためていた思いが心の奥底にあることに気づいたんです。
自分の思いを引き出すことができた後は、目指す未来を実現していくために、長期目標・短期目標を立てました。起業に向けて具体的に動き始めたんです。
ーー絵里香さんは大学卒業後、カンボジアで生活していた経験もあるのですね。
カンボジアでの出会いや出来事もプノントイの誕生には繋がっているのですか?
カンボジアでは、環境教育のプログラムを小学校でしたり、街をきれいにするイベントを企画したりしていました。
カンボジアの小学校での環境教育活動
大きな挫折も経験したんです。
力になりたいけれど、すぐには解決できない、環境・社会課題の根本をより深く知るにつれ、役に立てないことの無力感が募り、家から出られなくなってしまった時期もあって・・・。
周囲のサポートのもと、現地のスタッフと共に色々と活動をして教材・プログラム制作やイベント実施などの成果を作ることはできたのですが、ボランティアがいなくなったあとも現地のスタッフだけで続けていける仕組みや土台を作ることが難しかったですね。
ボランティアとして、環境という大きなテーマで取り組みを継続的なものにしていく限界を感じました。
ーー会社員時代の葛藤やカンボジアでの挫折感が起業の原動力になっているのですね。
そうですね。
ーーPhnom Toiってクメール語なのですね。今でもカンボジアとの繋がりはあるのですか?
そうですね。一緒に活動していたスタッフと今でもたまに連絡を取り合っています。
「Phnom Toiの現地のパートナーになりたい」って言ってくれている人もいるんです。
ーーいつかカンボジアのお店にもPhnom Toiのアイテムが並ぶ日がくるかもしれませんね。楽しみです。
ありがとうございます。「いつかカンボジアにこの事業をもっていくんだ!」ということは決めています。
カンボジアの首都 プノンペンの街並み
自然の価値は、わかるのではなく感じるもの。
ーーこれまでのエリカさんの話を聞いていて、環境のためにいろいろなアプローチや働き方があることがわかりました。
数ある選択肢の中で、アイテムをお届けするという今のPhnom Toiの形になったのはどうしてなんですか?
起業までの10年間で、環境に関心のある人にしか広まらない、受け取ってもらえないジレンマを感じていました。
企業の人たちが議論する場って、特定の人たちの中で完結してしまう。一歩外に出ることがすごくむずかしいんですよね。
自然の価値って、数や論理的な説明ではなく、五感で感じるものだと思っています。
触れたり、香りがしたり、自分自身がものづくりを体験する中でそう考えるようになりました。
ウッドターニング(木工旋盤)でのものづくり
アイテムという形になっていれば、環境に関心があるとかないとか、意識が高いとか低いとか関係ない。誰でも受け取ることができる。
今まで自分がやってきたアプローチとは違う形で広められる手段だと思って、ものづくりからPhnom Toiの活動をスタートしました。
商品第一弾 精油とウッドディフュザー
ーー生活に取り入れられるアイテムになっていれば、忙しく働いている人も気軽に自然と繋がることができそうですよね。
たとえ環境に興味があったとしても、時間を割いて活動に参加するって、ハードルが高いことだと思うんですよね。
里山の活動に参加しているのは70歳以上のおじいちゃんがほとんど、というのが実際のところです。
アイテムを手に取ったり、贈ったりすることで、里山の活動を応援できる。
そういう意味でも、ものづくりには可能性があると思っています。
Phnom Toi が伝えたいこと
ーーでは最後に、Phnom Toiのアイテムにのせて伝えたいメッセージはなんですか。
受け取ってくれた人には、「あなたも大きな循環の一部だよ」ということを伝えたいです。
山の形をしたPhnom Toiのロゴを輪っかのような形にしたのは、「自然や人の営みの循環」の意味もあるんです。
Phnom Toiを通じて、背景にある森林や里山のことをもっと知ってほしいという想いはもちろんあります。でも、意外にもそれを商品を受け取ってくれた人に対して押し付けたいとは思っていません。一度受け取ったら、感じ方や考え方はその人の自由ですから。
「ただシンプルに、自然の恵みを受け取ってくれてありがとう」という気持ちですね。
編集後記
絵里香さんとは、青年海外協力隊として海外へ旅立つ前の訓練中に出会いました。
「まっすぐな人だな」というのが当時の第一印象です。
8年経った今も変わらずに、環境への思いをまっすぐに持ち続けている絵里香さん。今回お話を伺って、葛藤しながらも行動を続ける絵里香さんのバイタリティに改めて触れることができました。そして、私も納得感のある人生を選択することを諦めたくないなという気持ちになりました。
この記事が、自分の思いを大切にしながら、自分を活かして働きたい人に届きますように。そして、プノントイという小さな山の巡りの中に入ってみるきっかけになれば幸いです。
Profile 海老澤敦子 Atsuko Ebizawa 1988年、兵庫県出身。革作家。 小学校教諭として在職中に、JICAボランティアとしてエチオピアへ(2015~17)。教育に携わる仕事を経て、2022年よりフリーランス。エチオピアレザーを使ったアクセサリーや革小物の制作と販売をしている。 Instagram @atsuko_today |
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インタビュー企画
Vol.1 里山とまちを繋ぎたい。めぐる自然の中でわたしの役割を見つめ続けた10年間。|Phnom Toi 誕生ヒストリー
Vol.2 好きを仕事に。あなたに寄り添うお花のスペシャリスト|フラワーデザイナー Yokoさんインタビュー
Vol.3 Coming soon・・・